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■Vol.157 「楢下宿を訪ねて」        ※画像データがあります。もう少々お待ち下さい。


参勤交代とは、3代将軍徳川家光の時に、諸大名が蓄財をして力をつけるのを恐れ、2年に1回程、江戸への参勤を命じたもので、諸大名が一定の時期を限って向後に江戸に行く、もしくは両国に戻ったという制度のことを指すようです。

参勤交代において、「幕府」と「大名」と「宿場町」の三つが関わり、この三つの立場の人々はそれぞれの思惑を持っておりました。幕府は大名の財政を圧迫させるため。大名は幕府に敬意を示すために。宿場町はお金を大名から落としてもらうために。
参勤交代とは、この三つの立場の人々の思惑に支えられて200年以上もの間継続されたのです。そして参勤交代は、次第に拡大を続けて、年々大名の財政を圧迫していき、撤廃へと向かいました。大名たちの財産は広く各地に広がり、街道は整備され、庶民を活気づける結果となったのです。

ここ羽州街道「楢下宿」も、参勤交代の道して、地元の上山藩をはじめ、山形藩、天童藩、長瀞藩、新庄藩、庄内藩、松山藩、矢島藩、本荘藩、亀田藩、久保田藩、黒石藩、津軽藩と青森・秋田・山形の諸大名13藩の宿場として、本陣、脇本陣、問屋、旅籠屋、茶店などを備えた交通の要衝であったのです。

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案内図

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大黒屋
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庄内屋

● 庄内屋
下町にある脇本陣で、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の常宿とされ、庄内侯の煙草盆や拝領品が今に遺されている。建築は18世紀中期頃に建てられたものと推測される。

●石造の新橋・覗橋
明治13年と15年に石造で架けられ120年、昔日の面影がますます彷彿しております。

● 大黒屋
脇本陣滝沢屋の南隣に位置する由緒ある家柄である。間口10.1m、奥行17.5mで茅葺寄せ棟の屋根形式もそのまま遺り、戸障子や台所諸道具、諸施設、炉のまわり、間仕切り形状など古い形が良く保存された良好な家構である。建築年代は文化5年(1808)と知る。

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新橋
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覗橋

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滝沢屋
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武田家

● 滝沢屋
江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を滝沢屋と称し、滝沢諸白という銘酒の造り酒屋でもあり、脇本陣、旅籠屋として大名や上級武士の宿泊、休憩に利用され、その関札が遺されている。表間口11.8間、前面の広縁の外側は土庇式の「こまや」で、開口部に「しとみ」をそなえている。また、上家柱に、端を?差しとし、他端を縁桁から桔出し「せがい」造りとし、化粧垂木を付けて軒を整えている。建築年代不明であるが、宝暦7年(1957) 230年余を経過した建物と推測される
●武田家
形は通り土間式の妻入り家に対して「じょうだん」部が鉤形に張り出した曲がり家である。この家は、宝暦8年(1758)の屋敷割絵図に旅籠屋であることが明記されており、建築年次の明確にされている貴重な遺構である。本陣・問屋を務めた「塩屋」は、残念なことに復元はされていない。

●蒟蒻番所
たかが蒟蒻、されど蒟蒻 訪ねる人々はこの地の「こんにゃく」という食材で驚きと感動を言葉にする。 ここは関所と思いきや、こんにゃく懐石料理をはじめ、様々なこんにゃく料理(こんにゃくそば、こんにゃく粥、餅こん、こんにゃくすし、さしみこんにゃく等バラエティ)が楽しめますよ。一度食べに来てけらしゃいす。
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投稿者:松村 matsumura@asahi-survey.co.jp

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